
アメリカの言語哲学者ノーム・チョムスキーは、著書「Manufacturing Consent: The Political Economy of the Mass Media」の中でマスメディアによる「プロパガンダモデル」を痛烈に批判し、メディアと権力の癒着や大衆支配の実態を明らかにしました。
そのノーム・チョムスキーが語るメディアによる大衆操作とスウェーデンのメディアを比較すると、スウェーデンのメディアによる大衆操作はノーム・チョムスキーがいうメディアによる大衆操作と似ている点もあります。
ノーム氏の示す大衆操作の1つに「大衆の気をそらせる戦略」があり、重要なものから目をそらせるために、平凡な事を重要視させます。そしてもし平凡なことが重要になったと語られはじめたら、この大衆操作は成功していると述べています。
著書『スウェーデン 福祉大国の深層』でも記しましたが、スウェーデンではインテリアや外見に非常にこだわることが多いです。一般的な企業では、植木や空調がよくないと仕事がはかどらないから効率的でないと話になることもあります。
日本企業において、植木や空調が仕事効率と直接は関係がないので話になることはまずないはずです。しかしスウェーデンでは真剣にこうした小さい問題点をよく議論します。反面、実際の仕事の責任や役割、納期など重要であろうことはあまり議論にならず、実際の仕事が進まないことがよくあります。
現在のコロナ危機をみても、コロナ感染拡大当初のスウェーデン政府はスウェーデンでは個人の自主性を尊重する国だと言って具体的なコロナ規制を出していませんでした。しかし一般的に考えれば、現在の国家の危機的状況で個人の自主性尊重を話している状況ではなく、政府が国民をいかに国民の生命健康守るかが最優先事項なのではないでしょうか。
ただ現在のスウェーデンは1990年以降、資本主義的な経済重視傾向が強くなっています。その為、政府は公共テレビSVTなどメディアを利用し個人の尊重しているという建前の報道することで、政府が経済重視策をすすめているという本当に重要なことから国民の目をそらしていたとも考えられます。
また2020年3月22日にロベーン首相は国民へ向けたテレビ演説において、政府の責任は述べていないもののコロナ感染拡大防止責任は国民一人ひとりにあると発表し、コロナ拡大責任を政府から国民へ転換するような発言がなされました。
日常的にスウェーデンでは日本人が考える上であまり重要でないものを多く議論する傾向があります。これはアメリカの哲学者ノーム・チョムスキーが語る、重要なものから目をそらせる「プロパガンダモデル」に当てはまる点も多くあるように感じます。
kon-51.hatenablog.com
他者依存性の強い国民性
スウェーデン人の国民性をご紹介します。
欧米人というとアメリカ人やドイツ人のように自分の意見や主張が強いとイメージするかもしれません。
しかしスウェーデン人の国民性として、自分の意見をあまりいいません。また他の人に同調する傾向も強いのです。
心理学では母親の表情を優先して、自分の動きを決める「母親参照機能(マターナル・リファレシング)」と呼ばれるものがあります。
この心理は高層ビルと高層ビルの間にガラス板を敷き、向かいのビルで子どもの母親が笑顔で、「おいで、大丈夫だから」と呼びかけると、子どもは恐怖を無視して母親の呼ぶ方に向いガラス板の上を歩きはじめるというものです。
これは子どもが自分の判断よりも、母親の表情を判断の基準にしているためなのです。
スウェーデン国民もこの心理と似ている点があるのではと考えられます。スウェーデンの国民性の1つとして、他者依存の強い国民性があります。
母親のような存在の政府が、コロナ規制を他国のようにしなくても大丈夫だからといえば、信頼する政府を疑わずに付いていったとも考えられます。
また中国や北朝鮮、ロシア、イランなどとは違い、スウェーデンでは上手にメディアを利用し良い報道だけではなく悪い報道のバランスをうまく組み合わせることで、国民に気づかないようなメディアによる大衆の誘導もあるようにも感じます。
実際に国内に住む国民がメディアにより誘導されていると自己認識する事は非常に難しい事です。
ただ国内に住む外国人はスウェーデのメディアの問題点を指摘する人もいます。
あるスウェーデンに長年住むある外国人は、スウェーデンには二面性があるが、良いイメージだけが世界に報道されがちだと語っています。
世界でもクリーンなイメージの強いスウェーデンですが、その裏には絶妙なメディアによる国民の誘導もあるのかもしれません。
ただこれはスウェーデンに限ったことではなく、知らず知らず私たちはメディアにより自身の考えを誘導されているのかもしれません。
