
スウェーデンの「中立政策」中立国と中立化の違い
現在、ロシアのウクライナ侵攻により、スウェーデン、フィンランドのNATO加盟が東西の軍事バランスに大きく左右するため、両国のNATO加盟の是非が世界で大きな注目を集めています。
一般的にスウェーデンは中立であることはよく知られていますが、スウェーデンの「中立」は、スイスやオーストリアのような国際法で規定された「中立国」とは異なることはあまり知られていません。
スウェーデンの中立政策は、国際法上で規定されたものではなく、国の外交方針として「中立化」を宣言した姿勢を表すもので国際社会からの承認はありません。
日経新聞ではスイスやオーストリアの中立国と、スウェーデンやフィンランドの中立化との違いを下記のように説明しています。
▼中立 戦時と平時を問わず、国際社会で外交上、特定の相手に加担しない立場。フィンランドやスウェーデンなどが掲げる「中立化」は国の外交方針として宣言した姿勢を指すが、スイスやオーストリアなどの「中立国」は多国間の条約など国際ルールに基づき宣言し、広く承認される必要がある。
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またスウェーデンの中立政策までの経緯を元スウェーデン大使が下記のように記していますのでので抜粋します。
スウェーデンの「中立政策」
筆者は2015年から17年にかけてスウェーデンに在勤した。赴任した年は、丁度、同国がナポレオン戦争後のウィーン会議以降、戦争を経験することなく過ごした200年を記念する年であった。この間、スウェーデンは「中立政策」を巧みに駆使してかくも長期にわたる平和を享受したのであるが、それは国際法で規定されたオーストリアやスイスの中立とは異なり、自国の外交政策として打ち立てられた「中立政策」である。それだけに、そこには裁量の余地があるように見えるが、その維持には並々ならぬ努力が払われてきた。
日本ではあまり知られていないが、スウェーデンはかつて北欧からバルト海沿岸、ロシアに及ぶ「バルト帝国」を築き上げた。1523年に時の国王グスタフ一世がデンマークから独立を果たした後、国力の充実を図ったスウェーデンは30年戦争に際してグスタフ二世アドルフが新教徒側に参戦し、「北欧の獅子」としてその存在を恐れられた。
しかしこの隆盛も長くは続かず、台頭するロシアの覇権に次第に押し戻される形で1700年の「北方大戦争」に敗北した後はバルト海の権益を急速に失い、自国領フィンランドもロシアの影響下に入って大国としての地位を失ってしまった。
スウェーデンの「中立政策」はこのような歴史的背景から生まれたものであり、大国としての誇りを捨て、疲弊した自国の経済運営に集中するための方策として生み出されたものである。その意味で、自立性があり、柔軟性がある。実際、二度に亘る世界大戦を経て、国際社会が世界の平和と安定に一致団結して当たろうとする過程で次第に形骸化し、スウェーデンは軍事・安全保障分野でも共通政策を形成しようと努めるEUに1995年に加盟している。
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