
高齢者問題:孤独死から『孤高死(ここうし)』へ
スウェーデンに関する内容ではありませんが、前日の記した孤独死に関連する日本の孤独死による住宅問題について、10月6日のNHKのクローズアップ現代+で取り上げられているので記します。
記事によれば、
「事故物件」が新型コロナの中で増えているという。殺人や孤独死が放置された物件は特殊清掃に多額の費用がかかる上、物件価値も大きく下がる。 そうしたリスクから一人暮らしの高齢者が賃貸を断られるケースや、離れた親族の死で突然巻き込まれるトラブルが発生しているのだ。
と記され、日本では事故物件を借りる人が少ないとあります。
事故物件とは殺人、自殺、孤独死を含めた物件の事をさします。
調査によれば事故物件に住みたくないという人は7割以上(AlbaLink調べ)です。しかし高齢化が進む今の日本では、事故物件は今後さらに増えていくと見込まれているとのことです。
www.nhk.or.jp
明海大学 不動産学部 教授 中城康彦さんは、
「今はネット等々でそういった(事故物件の)情報がいつまでも残り続けると、希釈されない。むしろ増幅される。次から次にその情報がさらに拡散する。事故物件だというレッテルを貼る。大きな社会問題になってます」
と述べています。
事故物件になると下がる、資産価値。その下がり幅は、死因によって大きく異なっていました。孤独死で1割、自死で3割、殺人事件で5割下がるというのです。
しかし超高齢化社会に突入した日本にとって孤独死は増えるのは避けては通れない事実であります。
そうした中、玉置妙憂さん (僧侶・看護師)は、
玉置さん:私はまず「孤独死」という言い方が、少しひっかかるんですね。
人間というのはもともとひとりなもので、ひとりで生まれてきて、ひとりで死んでいくというのが普通のことだと思うんです。
でも、その方がひとりで命をしまったからといって、それを孤独死だったというふうに何か決めつけてよくないような言い方、イメージを持たせるというのはちょっといかがなものかなと思います。
むしろ、ひとりできちんと命をしまっていった「孤高死(ここうし)」というふうに考えてもいいんじゃないかと思います。
そういうふうに、その方の人生を大切に「ああ立派だった」というふうに考えられれば、決して事故物件というような概念は生まれてこないような気がするんです。
スウェーデンやヨーロッパでは孤独死という呼び方はしません。
また孤独死による事故物件をそれほど気にして賃貸や不動産購入を検討をしてはいません。
もちろん宗教観、国民性も大きく異なっている点もあります。
しかしスウェーデンでは日本と比べ病院で最期を迎える人より、自宅で最期を迎える人のが多いため、孤独死による事故物件としていたら不動産の借り手はいなくなってしまうことが理由の1つにあげられます。
孤独死というと一人で寂しく亡くなり、亡くなった人が寂しい人であったようなマイナスのイメージが強くなってしまいます。
しかし玉置さんの仰るように「孤高死」と呼び、人間はひとりで生まれてきて、ひとりで死んでいくのが普通と考えれば、一人で亡くなった方に対して寂しいマイナスイメージも生まれず、孤独死による事故物件というような概念も生まれないのではないでしょうか?
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