スウェーデンは男女平等、人道主義を唱え人種差別反対運動にも積極的であるイメージが強くあります。
そうしたスウェーデンの第3の都市マルメ市で10月13日より国際ホロコースト会議が開催されます。
10月6日のスウェーデン公共テレビSVTによれば、政治家、研究者、ソーシャルメディアの代表者、ホロコーストの生存者が10月13日に開催される国際ホロコースト会議のためにマルメ市にやってくると報じています。
国際ホロコースト会議の目標は、反ユダヤ主義との闘いにおいて具体的かつ共通の一歩を踏み出すことです。
現在のところ参加者は確定されていませんが、ルーマニア、フィンランド、ラトビア、リトアニアの大統領がマルメ市にやってきます。
欧州理事会のシャルル・ミシェル議長やイスラエルの代表団も訪れ、スウェーデンの王室からも参加します。
マルメフォーラムに対する政府の目的は、ホロコーストの悲劇に対し、反ユダヤ主義やその他の人種差別と戦いを強化し、この分野での国際協力を強化することです
と教育大臣アンナ・エクストローム氏は6日の記者会見で述べています。
この会議では、ホロコーストの記憶、ホロコーストに関する教育、ソーシャルメディアでの反ユダヤ主義、反ユダヤ主義やその他の人種差別との闘いの4つの異なるテーマにおいて取り組みが行われます。
会議終了時の共同宣言は目標となっていませんが、代わりに各代表団は努力や対策実施予定内容を提示する必要があります。
翌年スウェーデンが国際ホロコースト追悼同盟(IHRA)の議長を引き継ぐときに、誓約内容が確認されます。
そしてスウェーデン政府は2022年にホロコーストへの記憶を保存し将来に伝えるために州立博物館を設立することをすでに発表しています。また反ユダヤ主義と戦うための行動プログラムも来年発表されます。
我々は反ユダヤ主義、ホロコーストの否定、そしてホロコーストの記憶が歪められている事に対して戦うためにはさらに多くのことをしていかなければなりません。政府はこれらの問題を国内外で提起し続けることを決意しています。
と教育大臣アンナ・エクストローム氏は語っています。
www.svt.se
国際ホロコースト会議を設けナチズム否定、人種差別撤廃を掲げるスウェーデンでありますが、今でもスウェーデンにはナチズムを崇拝する人たちは存在しています。
8月19日にエースレーブ市にある高校で15歳の少年が学校の教師を刃物で刺し警察が出動し、警官が威嚇発砲を行う学校襲撃事件が発生しました。
8月23日の新聞アフトンブラデットによると、15歳の少年は穏やかで親切と言われていましたが、ナチズムに固執してたと報道しています。
www.aftonbladet.se
記事では、犯人の少年は子供たちの中でとても穏やかで親切と言われていました。そのため町の子友達は犯人の少年がなぜこれほど重大な犯罪を犯したのかを理解しようとしていると記しています。
少年を知る友達のアリ君は、
彼はとても親切でしたが、最近ヒトラーについてたくさん冗談を言い始めました
と話しています。
また別の友達のアリ君は、
(犯人の友達は)前日面白かった。彼は冗談を言っていて、普通でした。翌日、彼は学校に来て、先生を刺しました。
と話して言います。
アリ君と15歳の犯人の少年は仲良しでありましたが、アリさんがいうには、
犯人の少年は最近もいつも通りでしたが、少年は1年前からナチズムと白人至上主義に固執していたと語っています。
少年は殺人未遂の責任は否定していますが、加重暴行への有罪を認めていると報じています。
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未だに続くヴェルムランド郡でのナチズム崇拝
また9月21日のSVTによると、スウェーデン中西部ヴェルムランド郡出身でありドイツのナチズムに強い影響を受けたスウェーデン国民社会党の党首ビルガー・フルガードは、今もヴェルムランド郡のナチス信仰者に崇拝されていると報じられています。
スウェーデン国民社会党 の党旗
過激主義に反対するヴェルムランド郡のコーディネーターであるラース・スティエネロフ氏によると、
彼ら(ナチス崇拝者)はオーリェング地区にあるビルガー・フルガードの墓へ行き、彼の死や彼の誕生日に花輪を捧げる
と述べています。
記事によれば、ナチスのイデオロギーは党首ビルガー・フルガードがナチス党を設立してから97年たった今でも、ビルガー・フルガードの故郷であるデジェ地区でまだ生きているとのことです。
www.svt.se
スウェーデンは第2次世界大戦中は中立国でありました。
Wikiの情報でありますが、スウェーデン政府はドイツや後には西側連合国に有利なように、いくつかの譲歩をし時には中立違反を行う事もあったとあります。
ドイツがソ連に侵攻した際の1941年6月から7月にかけて、スウェーデンはドイツ国防軍がスウェーデンの鉄道を利用して、第163歩兵師団を重火器とともにノルウェーからフィンランドに送る事を許可した。
1943年まで、休暇のためにノルウェーとドイツの間を移動するドイツ兵が、いわゆるパーミットトラフィックとしてスウェーデンを通過する事が許可されていた。
戦時中もドイツへの鉄鉱石の売却は続いた。連合国側にとっても、スウェーデンと軍事情報を共有、デンマークやノルウェーからの難民兵士を訓練して、母国の解放に役立てた。
また、1944年から1945年にかけて、連合国がスウェーデンの空軍基地を使用する事を許可した。
スウェーデンの中立政策については、現在も議論の対象となっている。
肯定側は、戦時中、スウェーデンは難民受け入れを緩和し、ノルウェーやデンマークから何千人ものユダヤ人や政治的反体制派を受け入れたと主張している。
一方で否定側は、ウィンストン・チャーチルが言ったように、スウェーデンが「戦争の大きな道義的側面を無視し、自己利益のために双方の陣営を翻弄した」と強調している。
ja.wikipedia.org
中立国とはいっても戦時下においては自国防衛や利も優先され、ドイツのナチス党や連合国の両陣営に協力をしていた歴史的事実もあるのです。