ノルウェーの77人射殺事件から10年

今から10年前の2011年7月22日、ノルウェーの首都オスロでは行政機関庁舎が爆破され8人が死亡、及びオスロから西へ38キロほど離れたウトヤ島では銃乱射により69名が死亡し、合計77名が死亡する連続テロ事件が発生しました。
この事件はノルウェー国内において第二次世界大戦以降の最悪の惨事とされています。
実際に私も事件後にオスロへ行く機会があり、爆破のあった現場をみましたが、事件後も爆破現場は黒く焼け焦げており、事件の悲惨さを強く感じました。
7月21日の公共テレビSVTによると、スウェーデンのロベーン首相は21日に追悼の意を表しにウトヤ島を訪れたと報じています。
ウトヤ島での記者会見でロベーン首相は、
私たちはこの事件を決して忘れず、記憶しておくことが重要です。
と言葉を述べています。
www.svt.se
この事件は極右思想をもつアンネシュ・ベーリング・ブレイビク(当時32歳)が起こしたものでした。
SVTの記事によれば、ブレイビクは2011年7月22日15時26分にオスロ中心にある官庁外で爆弾を爆発させました。現場では建物の窓が吹き飛ばされるなどし、多くのオスロ市民が避難をすることになりました。その後警察は爆発で8人が死亡し、少なくとも200人が負傷したと報じています。
同日18時34分、ブレイビクはオスロから西へ38キロほど離れたウトヤ島へ移動し、ウトヤ島で開かれていた与党労働党青年部の集会で銃自動小銃で無差別に69人を殺害、さらに多くの人を負傷させたのでした。
www.svt.se
2012年8月25日、オスロ司法裁判所は死刑制度のないノルウェーでは最高刑に当たる禁錮21年の刑を言い渡されます。
2012年8月24日の日本経済新聞によれば
被告は犯行を認めたものの、政府が推進する多文化主義や、積極的な移民受け入れ政策によって人口が増加しているイスラム系移民から国を守るためだったとして無罪を主張。同時に、犯行は政治的な信条に基づくものだとして、自身の責任能力が認められることを望んでいた。
判決を受け、被告の代理人は控訴しない方針を明らかにした。
と記されています。
私はブレイビクと幼年期に同じ学校に通っていたノルウェー人と話しましたが、ブレイビクは幼いときより人より変わっている人物だったと話してくれました。
www.nikkei.com
『惨劇:ノルウェーの77人射殺事件から10年(後半)』へ続く
kon-51.hatenablog.com
kon-51.hatenablog.com
